2007年5月19日土曜日

緋色の帆を掲げた都市が碇泊してる、ってなんだよ?


どーも、どーも!
みんな宿題考えたかなー?
このアルバム、”風街ろまん” by はっぴいえんど
「風をあつめて」が入ってる。
4つの謎をとく何かを探して、分からないとこあつめてみようか。まずは、
3番の歌詞、人気のない朝の珈琲屋で、ひび割れた玻璃ごしに、摩天楼の衣擦れが、舗道をひたすのを、ーーー見たんです、とあるのだ。なんのこっちゃでしょう?
で、山下達郎の「夏の陽」、燃える夏の陽、僕は窓からーー見ているのだ、彼も、何を?ーー風が道路で、焔吹き上げ、街はたちまち、焼け色ーー何の描写だ?これは、さらに、「パレード」では、ーーごらん、パレードがゆくよ、ーーカーニバル(謝肉祭?生け贄を?)のパレードがーーと、パレードを離れたところから彼女と見ているのね、この彼も。そして「風をあつめて」に戻って2番を見る、とても素敵な、味爽どき、ーーに見たのは、緋色の帆を掲げた都市が碇泊してるーところ、なんだそれ、そんなの見たことないぞ、俺。それで、彼は、ーーそれで僕も、風をあつめて、蒼空を翔けたいんですーーと思う、いいなーと思ったらしい。そして、分かったことは、風はあつめたりするもので、道路で焔吹き上げることを、したりするらしい。なんだ?それは、、、。

2007年5月12日土曜日

カーニバルのパレードってなんだよ?


そう、風の話のつづき。
このアルバムはNiagara Traiangle Vol.1、このなかの山下達郎が作詞作曲した”パレード”。30年ぐらいまえに出会ってからずっと腑におちなかったこの歌詞の内容、まどろむ様なピンクの明かりは、とか、通りにあふれる虹のかけら、とか、沈む夕日もも一度のぼり出す、とか、1976年のこの頃、フォークからニューミュージックへのあたり、ピンクレディ全盛の頃ね。陽気で能天気なこの曲の語られている意味が頭の中でぐるぐるとめぐる訳です,何十年も。同じ様に彼の曲の”夏の陽”というのもそう、さらに”はっぴえんど”の”風をあつめて”も。この3つの曲が謎。っていうか、意味わかんね〜、だった。でもね、さすがに時間かけると見えてくるものがあるよね、あ、それから”てんとう虫のサンバ”も。この4曲の 意味わかんね〜が、意味通るじゃん!(※注:そんな流行り言葉はない)になったのがつい最近のこと、
さあこのつづきはすぐ書くからね、それまでこの謎、意味わかんね〜をとりあえずここでぺんでぃんぐ。前回の風の話も関係してくるのですわ、おもしろいね、1970年代。たまに見てくれているものずきな2、3人の読者へ謎をあずけてみます。あは、
ヒントは、「 主体が傍観者でそれらをはなれたところから眺めている」こと。
さあ、1970年代の風景が見えてくるよ、

2007年5月5日土曜日

風の集まる場所


ハラッパ。風の集まる場所、そういえば1970年代前後の歌や小説に風という言葉がキーワードのようにつかわれているよね、あれって何なんだろう。
風の吹く草原に>きっとお前は,風の中で待っている>だからぼくも風をあつめて>そこにはただ風がふいているだけ>風を見た人>わたしは風>風が道路で焔ふきあげ、街はたちまち焼け色。(アグネスチャン>上条恒彦と六文銭>はっぴいえんど>シューベルツ>天地真理>カルメンマキとOZ>山下達郎)それから、季節のない街に生まれ,風のない丘に育ち(泉谷しげる)とか。温度差、気圧差のある空気の塊の間におこる力の移動。風、時代を少しスライドさせて、風の谷のナウシカ(宮崎駿)は映画の最初は風の音からはじまる。ストイックでヒロイックなちょっと後姿がさびしそうな丘の上に立ち止まった誰かさんがきっとその頃、風と呼ばれていた。いや、自分たちのことをそう呼んでいたのだろうな、でないと。あいつは風だ、そうねわたしもそんな気がしていたの。なんてシーンがこの頃多発して、、いたかもな〜1970年代。あやしいな、恥ずかしいのは一緒か。ひとがなんと俺を呼ぼうともおれはしょせんそこらに吹くただの風さ、しゅたたた、、、(足早に立ち去る音)。誰かに呼ばれようと、自分から心の中に秘めようとも、ストイックでヒロイックで、、ああ、そこまでいろんなことあきらめて我慢して生きてゆかなければならないのね風さんたちは。本当に生まれるのが遅くてよかった〜俺。